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pero_peroのこじんてきなにっきです。毎日書きたいです。

離れていく想いと後ろめたさ

今年も3月11日が訪れた。
4年という年月は短いようであり、やはり長い。
助けあいジャパンというところが特設ページを作っていて、4年前の3月11日から一週間の自分のつぶやきを見ることが出来る。


助けあいジャパン Tweets 3.11

僕の当時のツイートを見ているとものすごい何かしなくちゃ感が出てて痛々しい。
また、無駄に元気アピールしてる感じもあってこれまた痛々しい。
しかしまああの時は日本中がそのような空気だったのだ。仕方ない。

 

そんな感じで今日は4年前の事を振り返る事が多かったのだが、こういう災害時の事を振り返るという行動は事象からどんどん自分を遠ざけてしまう危うさをはらんでいる。


id:zeromoon0さんが当事者とそうでない人たちの感情的なズレを書いていたけれども、やはりそれは別の形で感じていて。
地震の影響を全く受けなかったという罪悪感、当事者の気持ちをわかりたいのに分からないジレンマ、すぐに行って何か手伝いたいけれども出来ないししても意味が無いであろうというもどかしさ。
遠く離れた九州の地では、そういう被災地域との断絶感がモヤモヤと立ち込めていた気がする。
震災直後、僕はFKPというボランティアをお手伝いしていたのだけど、半分はそういう自分のもやもやを何とかしたい、遠く離れた被災地を自分事にしたいという気持ちだったのだと思う。

 

そんなわけで、時が経つともやもやも落ち着き、ともすれば311の事も少しづつ忘れがちになる。
もちろん毎日そのことばかり考えている訳にはいかないし、距離的な遠さがある以上取ってつけたような自分事はどんどん剥がれ落ちてしまう。
「10年後にあんな事やったな、という昔話はしたくない」というのをボランティアを仲間と話した事があったが、思ったよりも風化に抗うのは難しい。
そして時が過去を美化しようとするのはなかなかやっかいだ。

 

3月11日が訪れる度に自分の離れていく想いが確認でき、後ろめたい思いをしているのは僕だけではないと思う。