昭和50年生まれのオッサンが見てきたインターネットの世界!
平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。
昭和生まれのオッサンが見てきたインターネットの世界 - ま、こんなもんでしょ
うおおおおお僕も書く書く!
デジタルネイティブじゃない昭和50年生まれのオッサンが見てきたインターネットがどんなインターネットだったかをみせてやる!!
あ、そんなにパソコンパソコンな日々を過ごしてきたわけでないのでそこんとこよろしく哀愁!
はじめて触れたぱそこん
最初にパソコンを触ったのは小学校6年の頃。
担任の佐藤先生が新しもの好きで学校にパソコンを持ち込んでいた。
何のパソコンだったかはよくわからないが、今考えるとおそらく8801シリーズ辺りだった気がする。
先生は体育の高飛びのデータを集計したかったようだが、生徒に人気があったのは休み時間に行われる信長の野望であった。
中学に入り科学部という名のパソコンゲームをする部活にはいった僕はMSXに出会う。
京ちゃん(頭いい)と佐野(デブ)とMSXファンに載っているベーシックのゲームプログラムを打ち込んで遊んでいた。
僕らはただ打ち込みだけだったけど、後輩で凄いパソコンオタクがおってタッチタイピングでマシン語プログラムガンガン書いてて何じゃこいつは状態だった。
ちなみにこの頃裕福なクラスの友人はMSX2とか2+の機体とか買っててすんげぇ羨ましかった。
ホモと噂されていたひでちゃんは当時まだレアだったPC9801を購入しエロゲに精を出していたらしく、すんげぇ羨ましかった。
ちなみに科学部にはアマチュア無線も置いてあった。
顧問がアマチュア無線2級の理科の先生だったのだが、たまに来て英語でペラペラ外国の人とお話をしているのを見てへ~すげー、と思っていた。
佐野のデブはハム免許取るんだと息巻いていたが、僕と京ちゃんは「お前がハムだろww」と笑っていた。これは余談だな。
この頃はインターネットはなかったんだけど、その気になれば他の世界につながる手段はあったわけだ。中学生の僕は興味ナッシングだったけど。
この頃はやってたもの・事件
コンプティークの袋とじ、TTRPG、闘神都市、放送委員の佐野が給食の時間TMネットワーク流してくる
きっかけはネオ麦茶
高校・大学時代は部活一筋だったのでここで5~6年ほど大きくブランクが開く。
全く興味がなくなったわけではないので、書店で雑誌などは見つつ「ポケコンてなんじゃらほい」「え、DOSって時代遅れになるの?」とか想像だけでもんもんする日々が続いた。
インターネット自体に初めて触れたのは大学の図書館。
ウインドウズにもMacにも触れるのも始めて。
しかし学生の一人暮らしではパソコンとか買えないため、ネット漬けという日々は訪れず…。
転機が訪れたのは大学3年位だったか。
バイト先の先輩がパソコンをくれるというのでありがたく頂戴いたす。たしかPC-9821Xa20だったと思う。(このサイトはPC98シリーズがたくさん乗ってて楽しいな)
ちょうどちょっと後に佐賀バスジャック事件が起き、2チャンネルを見てしまいそのままズブズブハマってしまう。
フラッシュ板→最悪板→スロサロと渡り歩きコテハンも付ける黒歴史。(この間久々某板を見てたら自分が逮捕されたことになっててワロタ)
フラッシュ板では仲良くなったコテハン(男だよ)と2チャンネル以外でやりとりする事案も発生して「こ、これがインターネットコミュニケーションだ!(レナウンのCMっぽく)」と衝撃を受けた。
そう、FLASHサイトとか作ったよ…黒歴史はInfoseekとともに滅んだので心は安らかです。
この頃はやってたもの・事件
吉牛OFF、CAT-MAN、ゆーかたんハァハァ、そういえば911もリアルタイムで見た
ブログの衝撃
そしてテキストサイトブームがやってくる。
…とはいえ僕はテキストサイトあまり読んでなかったので、侍魂の先行者と僕秩くらいしか覚えていない。
なんかテキストサイトブームは「面白くもない文章フォントいじって読ませるの寒くない?」と冷ややかに見ていた(今流行の上から目線だね!)。
やがてテキスト系サイト→さるさる日記→ブログが流行り始めた。
その頃主なブログというと、Blogger(マニア)、はてなダイアリー(マニア)、チャンネル北国(マニア)、さるさる日記(一般人)という感じで、まだまだブログというものがそこまで市民権を得ていなかった。
そんな中、深水英一郎氏が2ちゃんねる側に「ちゃぶろ」をおっ立ててβユーザーを集め始めたので、僕は「おもしろそー」ブログとかよく知らないまま参加。
カンタンにデザインいじれたり、更新カンタンだったりというブログシステムにびくりつ。技術の進歩に恐れいった。
ブロガー同士のコミュニティ
当時ネットイナゴと言われていた2ちゃんねる。
ちゃぶろはブロガー全員がねらーという、今でこそ当たり前だが、当時としては異様なコミュニティだった。
とはいえ、煽り煽られのようなはてな村とは違い、どちらかと言うと仲良く慣れ合いな場だったように思う。
逆にちゃぶろ以外のブログとは仲がよろしくなかった気が…。
特に初期メンバーは仲がよく、チャットルームでだべったりお互いのブログ紹介したり、あ、同じお題でバトンとかしたりもしたなー。結構楽しかった。
お医者さんやら投資家とか色々な人がいてなかなか面白かった。
あと仲良くなったできったさんという人と(性別不詳)と二人で今流行の嘘ニュースブログも作った。アクセスはそこそこ良かったけど半年で飽きた。
この頃ちゃぶろに「食べたものを淡々と記録するよ」という化け物コンテンツが出来て、海外にも紹介され「淡々と亜種」が発生する。
おーじろうさんは今雑貨紹介するサイト作ってるみたいだが相変わらずうまくて才能に嫉妬する。
ブログ数が多くなってくると、色々なカテゴリーのブログが出てきて、同じカテゴリー同士での中が親密になったりしていった。
その後、マネタイズできなかったと言うことで運営も手を入れなくなり、やがてちゃぶろはサービス停止。
またもや僕の黒歴史は葬られることに。
この頃はやってたもの・事件
mixi、ニュースサイト、バーチャルインターネットアイドルちゆ12歳、オレ様キングダム、俺氏始めてOFF会に出る
地方のBLOGとか頑張った時期もあった
ブログブームが加熱すると猫も杓子もブログになり、僕の働いていた会社でブログポータルを運営することになった。
今で言うクラウドCMSの営業に乗せられた商品を買った訳だけど、僕も人集めで色々ブログ書いたりイベントしたりした。
まああまり関係ないので端折るが、インターネットをビジネスにするという人たちと接する機会はなかなか面白かった。
で、その後はTwitterが出てきて、Twitterもおもしれーってガンガン使って、はてブもそこそこ使って、フェイスブックも面白いじゃんって使ってる。
ニコニコは独自のノリが凄くて中々ついていけない。(見たりはする)
ネット経由で人間関係が再構築される
高校までは自然に友達とか出来ていた気がするのだが、大学になり「友達と付き合うのってどうやっていたっけ?」と非コミュをこじらせてしまう。
会話が基本苦手なので、どうもあって話すと言いたいことの半分も言葉にならない。
そこそこ知り合いやお話できる人はいるんだけど、長期的に良好な関係を続けていく方法がよくわからない「隠れ非コミュ」なのである。
そんな僕にぴったりだったのがTwitterやフェイスブックのようなコミュニケーション補助ツールだった。
おしゃべりが苦手、初対面が苦手な僕にとって「会った時に伝えきれなかったこと」などが補完できるネット上のこういうツールはとても便利。
お陰でどんどんプライベートで外にもでられるようになり、多少はコミュニケーション不全が改善。
ネットは怖いとか、いろいろ新しいものが出てきて、などといいますが、基本ネットは僕が外とのつながりを保つために必要なもので、これがないと生きていけない。
そんなわけで皆様これからもよろしくお願い致します。
P.S 裏インターネットの世界を誰か書いてください