はてなブログを毎日書いていたら10Kg痩せました!

pero_peroのこじんてきなにっきです。毎日書きたいです。

日本のミニマリストは世界でも類まれなる進化をしているのかもしれない。

ここ最近、はてなブログ界隈が騒がしい。
そう、ミニマリストの件である。
以前からいわゆるミニマリストとそれを訝しげな目で見ている人達の間では、モヤモヤした何かが燻っていたのだけど、それがここ数日で一気に吹き出した感がある。
僕はどちらかと言うと物を捨てられないたちなので、ファッション感覚で断捨離をやってのけるミニマリスト達を羨望の眼差しで見ていた。
ひょっとすると今のミニマリストへの風当たりの強さは、たくさんのものを抱えてしまいフットワークが重くなってしまった僕と同じような人達の嫉妬がそうさせているのかもしれない。


さて、そんな感じでミニマリストという言葉がバズっていたので、ちょっといろいろ調べてみた。

 

ミニマムな生活は人間の根本的な欲求


僕はあまり知らなかったのだけれど、少し前からバックパッカーや断捨離ブームといった物に縛られない生活というのはブームとしてあり、ジワジワとその信仰者を増やしていたらしい。
ここ最近、その中でも究極に物を持たない人達「ミニマリスト」というのが現れてきた。
そんなに興味が無い僕でも知っていて、何しろはてながカテゴリの一つとして認めるくらいである、その潜在的な人口はライトなユーザー含めるとかなりなものになるのではないだろうか。
ミニマリストの正確な定義は、持ち家も持たず、荷物がバックひとつくらいに収まってしまうような生活をしている人らしい。
しかし実際日本で主にミニマリストを名乗っているのは、家に住んで荷物もまだそこそこ持っている人がほとんどのようなので、日本におけるミニマリストは「ミニマムな生活をしている人およびそれを現在目指している人」になるのかもしれない。

 

しかし、物を持たない、物に縛られない生活というのは人を魅了するものらしい。
少し前に世を騒がせた「ノマド」という働き方もある意味にミニマムな働き方であるし、古くは夏目漱石の名前の由来となった「枕石漱水」も俗世を離れ、物に縛られない生活を夢見る言葉のようである。
このように今から2,000年近くも昔、今からするとそこまで物があふれているようには見えないような時代でも、「できるだけシンプルに生きたい」という想いがあったことから、ミニマリストの哲学は人間の根源的な欲求であると言っても過言ではないだろう。

 

日本のミニマリストは独自の進化を続ける

 

さて、ミニマリストにもカリスマと呼ばれるすごい人たちがいる。
どの人にも共通しているルールは「不必要だから持たない」というシンプルなものだが、
そのルールの根底にある哲学は個人個人で少しづつ違うようだ。
バック1つ分の荷物で生活しているプロギャンブラーのNOBUKIさんが考えるシンプルライフの哲学は「ロスを減らすこと」だとか。
住居を始めとする固定費を減らすことは、その分稼いだのと同じことになるとか。
また、車一つで生活するメジャーリーガーのミニマリスト、ダニエル・ノリスがシンプルな生活を送るのは、ピッチャーとして最高のパフォーマンスを得るために、自分がいちばんしっくりするライフスタイルを送りたいから。

そんなカリスマたちに刺激され、そのライフスタイルを見習いたいという人達が昨今のミニマリストたちだ。
カリスマ達が自分の過ごしやすい、しっくり来る生活を送るために物を手放してきたのに対し、新しいミニマリスト達は、自分が何を手放したのかを競い合い、いかに自分たちが理想のミニマリストに近づいているかをアピールし始めた。
そう、ミニマリストはこの時、古臭い脱欲的な思想から解き放たれたのだ。
シンプルライフは一部の修行僧達の宗教から、ヒッピーのようなファッショナブルでカジュアルな文化へと昇華したのだ。
一部の人達がミニマリスト達は自己意識がむしろ肥大している、という批判をしているが、これはむしろ逆である。
ミニマリスト達は自らを縛る自己意識から自分たちを解き放ったのだと僕は思う。

 

カリスマミニマリストと日本の多くのミニマリストの違いはもうひとつある。
それは経済的なものだ。
カリスマと呼ばれる人達は、ものは所有しないが経済的には非常に恵まれている人が多いように思う。
これはいわばいざというときにはすぐにお金で何でも解決できるわけで、彼らのミニマムな生活の不安定さはお金という命綱が付いているわけである。
ところが、日本におけるミニマリストはどちらかと言うと経済的なバックボーンはそれほど大きくない。
中にはフリーなライフスタイルはおろか、一般の会社で働きながらミニマムな生活を志す物もいる。
日本人の慎ましやかな貧清思想的な物が息づいているのか分からない。
しかしカリスマたちのようないつでも経済力という命綱があるシンプルライフよりも、経済的なマイナス面をマイナスと捉えない姿勢のほうが、本来のミニマリストと言えるのではないかと僕は思う。

 

ミニマリストはどのような未来を切り開いていくか?

新しい価値観が生まれるとそこには大きな摩擦が起きる。
順応できる者とそうでない者がいるからだ。
しかし、その新しい価値観が正しいかそうでないかも、また後の世になってみないとわからないし、正しいからといって生き残るわけでもない。
ミニマリストはどうだろうか。

ひとつ言えるのは新しい価値観は常に新しいリーダーや新しい文化を生み出すということだ。
ヒッピー文化が無ければビートルズサリンジャーバロウズが、あるいはジョブズが現代にこのような形で息づいていたかどうかわからない。
ミニマリスト達の中からそういうイノベーターが現れるかどうかはまだわからない。
カリスマと呼ばれるミニマリストがそうなるかもしれない。
あるいは日本の新しいミニマリストの中から、未来のジョブズバロウズチャールズ・マンソンといったカリスマが現れるのかも知れない。

 

ミニマリスト達はそんな未来をパンツ一枚で正座しながら待っているのだろう。
シンプルスタイルに、ミニマリストに乾杯。